2015年9月19日土曜日

自分たちのサッカーはどう決めるべきかについて思うところ

自分たちのサッカーは何かという命題を突き付けられて久しい日本代表だが、今回は、自分たちのサッカーは、どう決めて、あるいは決まっていくものかについて思うところを述べたい。



結論から言うと、私は、

キリンカップ 日本代表対チュニジア代表雑感 ~どこに収斂していくのだろう~
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/same_frequency/article/66

のコメント欄で記載したことのように考えています。

※以下抜粋
「・・・もっと言うと、サッカー界全体流れがあり、その中からピックアップ・取捨選択・日本人に合うように変質させ、さらに、現状いるメンバーや監督やその他現実に合わせて、
最終的に相手や試合状況(暑い寒いとか、AWAY etc.)に応じてさらに適応していくと。
まとめると、流れがあって、自分がいて、状況に合わせるといったところでしょうか」


で、この場合の、「サッカー界全体の流れ、流行」って、いろんなチームや監督の考え、その時いる選手による影響、場合によっては経済的な状況を受けて成立している、ある程度磨き抜かれたものと考えていて、要は、この場合の流行は必ず一考の価値ありなもののはずと思っている、と。

で、次の「ピックアップ・取捨選択・日本人に合うように変質させ」ところが、結構議論になっている所かと思うのですが、これを流れに寄せすぎると、流行に流されているになり、寄せないとガラパゴス化してしまうという理解で良いのかなぁと思っています。
この塩梅でもめている、もとい議論が深まっていくと、「自分」が決まってくるはず。
※この程度であっさり次いきます。

そして、あと、意外に(私が)忘れ気味なのが「状況に合わせる」という部分。(これと流行と区別できそうで区別できない部分でもあるんですが、ごっちゃにして考えないようにして、と)実際の試合の時に考えること、と言い換えることもできます。例えば、ショートカウンターが自分たちスタイルだといっても、すごい暑かったり、相手のポゼッションが超絶だったりすると、できませんってことになって、別のことをしなければならなくなるということですね。(まぁ、できませんの時に、それに殉ずるのか、違うのかのも自分の持ちようの一つなのでしょうが。)「自分」の多様性があればあるほど、選択肢は多くはなるでしょうね。

てな感じで、「流れがあって、自分がいて、状況に合わせる」という手順で、自分たちのサッカーを決めるべき、変質させていくべきと考えます、といったところで、この稿、了。


にほんブログ村 サッカーブログへにほんブログ村 サッカーブログ 海外サッカーへ
にほんブログ村 サッカーブログ 日本代表へにほんブログ村 サッカーブログ Jリーグ(J1)へ

0 件のコメント:

コメントを投稿